おつかれさまの国

退勤するとまずイヤホンをつけて、YouTubeMusicで音楽を流す。ノイズキャンセリングも相まって一瞬で周囲をシャットアウトしてしまえるこの道具を使っている時、世界は背景になる。

1人の時間はほとんどイヤホンをつけている。孤独を紛らわすために音を流しているはずが、世界から切り離されて孤独が強調されている気がする。イヤホンの普及で個人化も加速しているかも。モノとヒトと社会の関係を考えるなんて、まさに大学院で学んだ文化人類学の知見が役に立ちそうなのに、相変わらず語る言葉がないことが寂しい。もっと勉強を続けたかったけど、これ以上続ける能力も、経済的な余裕もなかった。言葉を選ばずにいうと、と書いて続きは飲み込む。本名で書けることには限界がある。ずっとそう。ブログやXはお茶を濁して言葉を飲み込むためにあるのか。

退勤してすぐに乗るエレベーターの中はうまくネットに繋がらない。エレベーターのドアが開き、ビルを出たら電波を拾ってイヤホンから音が鳴る。金曜の夕刻にグッドセレクト。この曲は小学生の頃、リリース直後に新曲として聴いた。25歳にもなると聴こえ方がもちろん違うし、もしかしたらAメロはベン・E・キングのオマージュかも、なんて感じたりもする。綺麗な岐阜の夕焼けに似合う。

「おつかれさま」を冠したこの曲は2008年にリリースされており、思えばこの頃は終身雇用が崩れ、非正規労働者増加(ハケンの品格は2007年に放送されている)による正社員とその他の身分問題、世代間対立などが表出した2008年にリリースされている。みんな大変だよねと宥めるようにも聞こえるが、諦めているようにも聞こえる。つまり分かりあうことを諦め、お疲れさまという言葉に全てを乗せて赦し合っていることにしているのだ。

「つらいのはわかってる だけどわからないよ だれだってそれぞれ隠した切なさは」

「ほんとうはいえなくて だからいうのだろう ありがとう 大丈夫です おつかれさまです」

世界から自分を隔離するために着けたイヤホンから流れる「おつかれさま」は皮肉だ。隔離し合い、分かりあうことを諦めたように見える世界で、それを象徴している道具であるイヤホンから、深入りを避け、その場を収め、相手のことを受け入れたことにするための言葉として「おつかれさま」が聞こえるのだ。

そして、「悪いことばかりじゃないし、物語はまだまだ続く」と我々を諌める。みんなが前向きな未来を信じている時にこんな詩は共感されないだろう。

2008年の空気を反映したようなこの曲は、今、より響く。

「その夢も不安も闘いもこれからだから」

言葉は選ばざるを得ないのだが、夢も不安も闘いも、忘れた方がラクに生きられるし、それを望んでもいたのだが、その時の自分を許せる気がしない。アクタースーツを着ている間はともかく、アクタースーツを脱げなくなったり、中身が錆びることが怖い。自分の不安を信じてる。いわば不安に思わなくなることが不安だとさえ思う。

不安ドリブンで退勤後も休日もできることをやっていこうと思う。

闘いは続きそう。

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