いまダンスをするのは誰だ?

映画鑑賞のため久々の東京。池袋のシネマロサ。あまり詳細なことを書くつもりはないのですが、Xで書いた感想が舌足らずだったのが気がかりだったので、感想を改めて残しておきたいと思います。

パーキンソン病を患うサラリーマンの物語です。「誰のおかげで食えてるんだ」「経験不足の若手は俺の言うことを聞け」といった、ステレオタイプ的な考え方を押し付け、また、病によって自由が奪われるフラストレーションをも家族や同僚にぶつけてしまうことで孤立してしまいます。

家族が家を出たことはもちろん、仕事に重要なアイデンティティをおいている主人公にとって降格は非常に大きなダメージとなりました。どん底に落ちてはじめて、彼は自身の病を見つめ直します。

病を認め、これまで真面目に通っていなかったリハビリに積極的に取り組みます。その過程で自身と向き合うだけでなく、自分を取り巻く隣人の存在に気づきます。そして彼自身も誰かにとっての「善き他者」へと変わろうとするのです。

この映画では、主人公が「救われるべき弱者」としてではなく、「私たちが見落としている隣人」として描かれています。そして主人公は一方的に支えられる存在ではなく、時には誰かを支え、勇気づける存在になります。

主人公は病をカミングアウトし、周囲の会社の理解を得て支えられます。しかし、その前に彼は自身の病と向き合い、隣人を見つめ「他者に自分ができること」を模索しているのです。

「弱者だから支援しよう」という議論は単純ですが、それは思考停止です。特定の病であっても一括りにできるものではなく、個人や社会の文脈によってその捉え方は変わります。私たちはそれぞれ何かを背負って生きています。それは目に見える病かもしれないし、心の問題かもしれないし、病として分類されていないものかもしれません。

つまり、「隣人」として描かれていた主人公は、「私たち」に読みかえられるのです。

個人化が進んでいると言われています。多様性の時代だと言われています。

ただし、「他者は他者」と干渉を避けてしまえばそれは断絶で、「自身を絶対化している」と言い換えられます。それぞれの価値観があるので、完全に分かり合うことはできないかもしれません。でも、分かり合える普遍的なものもきっとあるはずで、分かり合おうとすることを諦めてしまえば、無数の孤独が待っているだけです。

映画館を後にするとき、「隣人の心の扉をたたくのは僕」でありたいし、「他者にとって善き隣人でありたい」と思いました。この映画は、観た全員を当事者にする力を持っていると思います。

共感し助け合えるはずの私たちに、一歩を踏み出させてくれる映画です。

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