入社はめでたいのか

入社にあたり「おめでとうございます」というお声をかけていただくことが多いが、本当にめでたいと思っている場合と、労働者になるということに対する皮肉として言っている場合と、皮肉と受け取られかねないことを理解しながらも一般にはその意味で用いられないから、周りに合わせて自分が真人間であることをアピールするために言う場合がある。

日本社会では(成人式ではなく)入社・就職がイニシエーションに代えられ(渥美一弥,2016,「『共感』へのアプローチ–文化人類学の第一歩」春風社.)、就職後の人間を「社会人」と呼称することから、就職は大人への仲間入りであり、これに対しておめでとうと言っているのだと思う。
これはわからなくもないけど、しかし大人になるタイミングがいわゆる就職しかないのだとしたらあまりにもイビツだと思う。就職に対しておめでとうというのは、これに加担している気がする。経済活動への参加が意味を持ちすぎている。

合格や内定は競争の末の権利の獲得だから嬉しかった気がするし、めでたいかなあと思うけど、資本主義社会で労働者となることは決してめでたいことではない。多数の消極的な労働者がなぜ働くかというと「労働するしかなかったから」に尽きると思うのだが、そこへの「おめでとう」は「労働するしかなかったんだね」という皮肉に聞こえてしまうことがある。とくに使用者側・資本家側が労働者に対して「おめでとう」と発することがなぜまかり通っているのかがわからない。先輩労働者が新しい労働者に「おめでとう」というのはもっとわからない。あなたも私も資本の強大な力に抗うことができずここにいるのですよ。いや別に資本主義のアンチではないんですけど。

たまにこれらを飲み込んだうえで、それでもみんなが使う言葉をとりあえず使える人もいる。僕は(チャットならまだしも)対面ではまだできないから、就職するという話を聞いた時に、「それはそれは」「素晴らしい(立派だとは思ってる)」などとズレた語彙でお茶を濁そうとしてしまう。

大多数が労働者というか、労働者の周りは労働者なので、現実的には労働者であるということがなかなか悲観されていないからかもしれない。そうなると、ライフステージの進歩を祝ったり、先輩が後輩を迎えるにあたり「おめでとう」と言うのは自然なのかもしれない。

返事をする方は「ありがとうございます」だけなので簡単だ。そう、コミュニケーションなんて実は決まったフレーズを適切なスピードで交換できるかどうかで、中身なんて詰めない方がいいんだよなあ。相手もきっと詰めてない。

「なにがめでたい」なんて思ったけど、めでたくもないし、ありがたくもなくても、「そう言うことになっている」ことを言うのだなと、反省とか息抜きということで、一筆書きで。

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