
二日間の大学祭が終了。教員として参加するはじめての大学祭だった。
とりあえず今年は1年目なので、すべての行事にしっかり乗ろうと思っていて、2日間しっかり徘徊する。そして何より、学生の出し物でお金を使うことが一番のお仕事だと思っていたので、授業担当している学生のところを一通り回る。どこも色々な調整の末、大変だったんだろうなぁと想像しつつ、立派でした。しかし健康栄養学科の出し物に関してはさすがのクオリティで、キッシュと皿うどんは忖度なしでリピートしてしまうおいしさ。来年も楽しみ。
学生会や実行委員会を中心に、本当に大変な準備を経て、無事に2日間終了したことを素直に素晴らしいと思う。
ただ、現所属の学生は課程が本当に忙しそうで、課外活動もほとんど見受けられないような状況なのだが、学祭の準備にあたり輪をかけて忙しそうになっていた。本当に学生の自治と言っていいのか疑問になる状況や、民主的とは言えないプロセスに対する批判的な声も聞かれていた。祭りに水を差すようなことは言いたくないので控えていたが、「いやなことは私がよろこんで」という標語を、搾取や理不尽を正当化するために用いていないか、というのはすべての構成員が反省すべきだと思う。無批判に構造を温存することは下の世代に問題を先送りしているだけなので、この標語は衝突や変革に立ち向かう精神としても解釈されたほうがよいのではないだろうか。そしてそれは決して学生だけの問題ではなく、今学校のために声を挙げている教員だって好き好んでやっているのではなくて、正義感に駆られてやっているのだと思いますよ。
さて、教職員はむしろ前後のテント張・テント片付けの要員として、有無を言わさず全員出勤日とされているのでもちろんお仕事としてやるのだが、たまにはこういう機会もいいし、やるなら全力で楽しまないとね!と思うくらいには大人になった。
学生の頃は、学祭の準備にはまったくかかわらずに学祭期間の勉強だけで毎年1個ずつ資格をとり、学祭の当日は点呼だけ出席して遊びに行ったり(特別活動4コマ分くらいの出席カウントになるので、スルー出来なかったんです)、高学年になって出席が不要になったら当日に合わせて旅行に行ったりしていた時のことを考えると、周囲に合わせられるようになったし、空気を読むようになりました。言い換えれば、狡猾に迎合するようになってしまいました。
こういう物言いが嫌われるのもわかっています。下っ端なりにできることを頑張っていくしかないです。







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