土曜日(川と神社と温泉と豊かさと幸福)

土曜は業務資格の勉強をして、本を一冊読んで午前中を終える。ふとフライドポテトが食べたくなり、マックに寄って食事をし、本を読み終える。便利で快適な週末。

時間もあるし、温泉に行こうと思い立つ。岐阜は下呂温泉が有名だが、岐阜市近郊では天然温泉を謳う施設はあるものの、たとえ山間でも湯量豊富な温泉が少ないようで、なかなか源泉掛け流しとはいかない。

運転は苦ではないし、インプットをやめて自分と対話したかったし、久しぶりに新鮮なお湯に潤びたい。Googleマップで源泉掛け流しと検索し、少し遠い三重の片岡温泉に向かうことを決める。

車に乗り込むタイミングで、そういえば駐車場の賃借期限が明日までだったことを思い出し、近くの駐車場の看板に電話をかけ、大家さんのお家に向かい契約まで済ませる。

何年か前に作ったプレイリストを聴きながら南に向かう。ハッとする歌詞をガムのように噛みながら、色々なことを考える。

木曽川の堤防の道を運転する。岐阜に住むことを報告した時に紹介していただいていた三川公園が近いことに気づき、公園に寄り道をする。売店ではちょうど到着した時間にお惣菜が半額タイムセールになり、つい焼きそばをいただいてしまう。

揖斐川、長良川、木曽川を一望できる展望台に登る。国営公園の施設の老朽化を見ながら、最近教員免許認定試験を受けたことからカスタマイズされたタイムラインによって嫌というほど目にする大学や小中高の悲痛な叫びと重ねてしまう。博物館とか資料館も学校と同様に、知識を残し伝えるインフラと捉えて差し支えないと思うが、衰退していく国では教育や学びのインフラはもう維持できなくなりつつあるのだろうか。

従来のメンバーシップ型雇用慣行では、民間企業が大学に期待する役割は(ポテンシャルの)選別機能だったが、もはや大学名でスクリーニングは(名目上)御法度となり、採用時点で独自のテストが課されている。ジョブ型への転向が言われつつも、まだそこまで舵を切れず、社内教育を主とする日本企業にとって大学とは何だろう。資本主義の論理が強くなった今、資本主義に与することができない大学を淘汰しようという風があり、大学は変質を求められている。学術研究に対する「何の役にたつの?」という定番の質問の前には、(資本主義社会での経済的付加価値に対して)というカッコ書きがあるように思う。

豊かな社会を実現するために経済成長を求める論理はわかるが、今は日本に限らずグローバル経済の中で、遅れを取らずついて行くことで精一杯で、豊かさがどっちらけになっているように見える。こういう時に「立ち止まって考える」ために大学は資本主義の論理に限らず、様々なイデオロギーから可能な限り(建前だけでも)切り離されているべきだと思うのだが、その理想を実現する手段が少なくとも今は資本である。

積読しているシューマッハや辻信一を思い出す。時間的には本を読むことが可能なはずなのに、本を読むことではなく外出することを選択した自分を責める気持ちがないではないが、しかしこの時間も僕にとっては豊かで、自分もまた学び至上主義というか、何かそういうものに支配されているのかもしれない。

展望台を降りて、展示をザッとみる。地質的な話とか治水工事については門外漢なのだが、にしても専門的な言葉が多く、ほとんど理解できず自分の不勉強を反省する。わかることや知ることが自分にとっての豊かさだと信じているから今はこう思うが、「知らなくても何も困らない」といえばそうで、これまでこれらの川の治水を気にしたことなどなかった。もちろん「知らなくても困らないかは知らないとわからない」のだが、このままでは「知らなくても困らない」という呪文が自分のものになり、それでもそこそこ自分は生活していける。僕は今どこに向かっているのだろう。

川とその展示を見ただけでこんなに書くことがあるかね、というボリュームの考え事をし、公園を後にする。

途中で大きな神社を見かけたのでお参りする。10社近くの社殿にそれぞれご挨拶をし、隣接している観音様と稲荷神社にもご挨拶する。

もちろんここでも色々なことを考えるのだが、語る言葉が僕にはまだ足りない。ただ、お祓いの「セット割」の看板とか、「観音さまもお稲荷さんもあって便利やろ、多角経営や」と語るオジサンと話して、また大学とのアナロジーを考えてしまう。レトリックとか、政治とか。あとは脱成長とかね。

お参りしてからさらに1時間ほど運転し片岡温泉に到着する。

複数の湯船がありながらもサウナや水風呂はなく、「お湯一択」という硬派な温泉。湯量が多くシャワーも温泉という贅沢さ。分類上は単純温泉だが、緑がかった色で香りもいい。久しぶりに新鮮なお湯に浸かることができて嬉しい。1時間ほどひたすらお湯に浸かる。低張性との表示があり塩気はないものの、たしかに湯当たり注意かもなお湯。お湯の中で何もインプットなく過ごすと、だんだん思考が止まってくる。

そんな土曜日を過ごす。

色々なことを考える。考えたいし語りたいとも思う。でもお湯の中では考えることを放棄する。そんなちぐはぐな自分と対話する。

とりあえず今日こそは部屋の片付けをしなくちゃ。

自分との対話に終わりがないので、この投稿にもオチはない。でも、こういう考え事をしなくなる日がくるかもしれないと一瞬よぎってしまい、書き残しておきたくなった。

考えずに済むなら幸福だけど、考えることや語ることは豊かなことだから。

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